私が鵜川に来たことの意義
私が鵜川に生き、暮らすことは、人生に対する賭けをしている。
親に金を出してもらって実家から技大に通えて。その上で、普通に就職するという道は、比較的に簡単に出来る道だった。それを捨てて、今の道を選んでることになる。この決断をした時は、上記のことを捨てたという感覚はない。ただ、私なら、この道を選んでもどうとでもできるだろうという根拠のない自信からだった。
鵜川で暮らすということは、かけの要素が大きい。なぜ、鵜川で暮らすことは賭けの要素が大きいのか。鵜川では、農業以外に、ろくな産業がないからである。農業とは、現在の日本では、稼げない分野の産業であるからだ。また、稼ぎやすさという点に注目すると、鵜川のような中山間地は、平野に比べ、大規模化による効率化がしづらい。
純粋に農業をすることが目的なら、中山間地は面倒なだけである。そして、農業をすること自体は、私の目的でもない。私の目的の最終到達点は、この地域の活性化を行うことである。そのための土台が、この地で農業を行い、産業として盛り立てる事。
必要以上の小手先の方法を考えることはやめだ。考慮することが増えれば増えるほどに、行動力が下がる。親と受入れ先の方々の投資の元に私は、金も技術もない大卒(予定)の状態にも関わらず、この地で生活できてる。
作れる時間なんて大分少ないだろうに、相棒が動いてくれて、ボルナツのことからも手を離せるようになりかけてる。この地で、農業をするということの本質が、やっと見えてきた。この地で農業をしていて良いのだ。さすれば、道は切り開ける。
きっと変えられる。この地域を。面白い地域に。