私の立ち位置
去年の7月の記事、この一年は、身辺整理と充電の一年としていた。
あと一ヶ月で、鵜川に暮らして丸一年。2年目は動き出す年と決め、1年目は、整理と充電の年としていた。いままで4年間、鵜川外から通っている表面的な関わりから、この一年は、鵜川の住民として過ごす本質的な関わりとなった。
本質的な関わりが始まると、鵜川を構成している人間関係も見えてくる。集落は、人間関係で成り立っている。どんな集団でも、人間関係で成り立っているものだと考えているが、山の中の集落は、特に人間関係を大事にして成り立たせている。
私は、鵜川外の人に対しては、鵜川の人である。一方で、鵜川の人に対しては、鵜川外の人間である。そして、私が、鵜川外から来た人間であることは今後も変わらない事実である。それは、それで良い。それが集落の中に入る移住者の立ち位置なのだから。私は、集落外からの生まれ、育ちの人間である。それは、鵜川に関わる上で、有利に働く要素となりうる。
立場、及び、地位には、それに見合った言動を要求される。立場なんぞ関係ないという人も居るかもしれないが、少なくとも大衆というのは、その人の肩書き、立場でその人の多くを判断する。つまり、私の立場を見極めることは、これから私が行うことを効果的に行うために大事な要素となるのである。
私は、鵜川外の人間であり、鵜川の人間なのである。この私の現状の立ち位置からすると、私は、鵜川と鵜川外の人が関わる媒介の役割が、望まれる。その望まれている媒介の役割として、facebook、ブログを通した情報発信をすること。また、23歳という、世の中では、若い人間に分類される人間であることから、あらゆることを受け継ぐこと、そして、新しい何かを始めることを望まれる。だから、あらゆる集まりに顔を出し、関わりを持つことが望まれる。その上で、新しい何か。もしくは再編成することを望まれる。
私が一人でできることは、大したことではないだろう。それでも、一人でもできる小さなことでも効果的なことを行えば、大きな作用をもたらすこともできるだろう。
私は、だぁ~すけの活動に惹かれて、そして、後押しも受けられて、21歳のうちに鵜川に移住することを決意した。今振り返れば、子供が興味を持ったことを、親が後押しするかのようだと感じる。私自身、不安はあった。親にも、もちろん報告した。
母親は、やはりと思うべきか反対してきた。母親が、反対してくることに関しては、予想済みであり、この意見に関しては聞く耳を持つ気はなかった。親父は、私の決断を聞いた上で、生活できる見込みがあるのかの現実的な心配と、バックアップならすると必要以上のことは言わなかった。
親だけではない。私の受け入れ側としても、私を鵜川で生活させられることができるだろうか。今もその重荷を背負って、私を受け入れてくれている。できないことは、できないかもしれない。でも少なくとも精一杯、ぼちぼちと生きていきます。
3/6鵜川で雪上運動会
イベントページはこちら 鵜川 雪上運動会 | Facebook
facebookでだぁ~すけページも更新中。