澁江が鵜川に移住した経緯
私が、鵜川に移住するに至った経緯をまとめました。
経緯に入るまでに、まずは、鵜川とは、どこにあって、どんなところなのかの説明から行います。
◎鵜川とは、どんなところ
・鵜川の位置
鵜川という名前の通り、「鵜川」という川の上流の地域です。
住所の上では、鵜川という地名は、存在しません。現在は、柏崎市の大字女谷、大字市野新田、大字折居の三つを合わせた地域を鵜川と呼んでいます。
この中で、私は、柏崎市の大字女谷に住んでいます。
集落まで分解すると、11の集落(清水谷は含めず)に分かれるのですが、ここでは割愛
「綾子舞のところ」というのが一番伝わりやすいと思っています。
農業者の中では、ブトが超すごいところとして、有名だったりします。
・鵜川の超略歴
1901年:女谷村、折居村が合併し、鵜川村に
1956年:鵜川村、野田村、上条村が合併し、黒姫村に
1968年:黒姫村は、柏崎市に合併。現在に至る。
遡れば、鵜川村という名称があり、それが鵜川と呼ばれる経緯だと思っています。
・鵜川の現状
現在高齢化率約82%、(※高齢化率とは、65歳以上の方の割合です。)
50軒で、77人の方が住んでいるそうです。
H27年3月時点の柏崎市の住民台帳を参考に計算しました。
高齢化率82%と77人という人口から、64歳以下が、13人いる計算となりますが、20代は、もちろん私一人です。
◎澁江が鵜川にきた経緯
では、ここから本題、私が、鵜川に移住した経緯です。
私は、長岡技術科学大学に通っていましたが、大学を卒業する前(H27年4月)から、鵜川で暮らし始めました。
大学時代は、「ボルナツ(正式名称VOLT of NUTS)」というボランティアサークルに所属していました。ボルナツでは、新潟県中越地域の中山間地の活動を中心としており、その活動先の一つに、鵜川での活動がありました。
ボルナツでの活動を通して、中山間地で生きるという道も一つの選択肢としてありだなと考えるようになります。
そして、私が大学4年になり、大学院に進学するのか、就職するか決める必要性がある時期(H26年6月頃)にfacebookである投稿をしたのです。
「私を欲しいところありますか」と、一種の就職活動といえるでしょう。
その投稿に、ボルナツの鵜川での活動の受入れを行っていた「だぁ~すけ」の会長の小野さんから、「鵜川でコメ作りをしないか」というコメントをもらいました。
その言葉にかけることを選びました。それから、具体的な移住する方法の模索に移り、(H27年4月)実際に移住することになりました。
◎まとめ
本題なのに短いわけですが、おいおいもっと詳細に書くかもしれません。
さて、実際に移住に至るまでには、いくつかのポイントがありました。
- 「だぁ~すけ」という、町内会のような組織とは別に、地域活性化団体が、活動していたこと。
- 「だぁ~すけ」での活動が、外部の人も巻き込んでいたこと。
- 外部の人を巻き込む中で、澁江が、真面目にその活動に巻き込まれていったこと。
- 地域側(地域の人)からの最後の後押しと、移住に至るまでの道の模索を一緒に模索してくれたこと。
これらを通して、私は、鵜川に移住することになりました。
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その鵜川での地域づくりの様子を更新しています。