不安なのは、見通しが立たないから
ホワイトアウトで視界のない中での車の運転
スピードを落として走る
車幅灯、もしくはライトを点けて、ゆっくり走る
いっそのこと止まって、過ぎるのを待つ。
なぜ、それらの行動を取るのだろうか。
一切の視界が効かない中での走行は、今自分が道路のどこを走っていて、いつ壁や先行車や対向車とぶつかるかわからなくて不安だからである。
あえて、抽象的に切り抜くと、視界という見通しが立たないがゆえに、不安で止まるか速度を落としているのだ。
昨今、判断に悩むことがらに立ち向かい、少し立ち止まって考える。
一番の安全策として、ホワイトアウトが通り過ぎるまでずっと待ってから走り始める。今回の場合では、見通しが立つ時まで、この案件は先延ばしにするという選択肢を取ることは出来ない。
では、ホワイトアウトの最中ではあるが、車幅灯を点けて、速度を落としてでも走ることは可能だろうかと考える。今回の場合では、出来る限りの安全策を張りながら、ゆっくりでも良いから進む方法があるだろうか考える。
安全策、失敗したとしても立て直すことが出来るかどうか、もしくは出来る限り失敗のない方法をとることが出来るか。ゆっくりでもよいから進む、任意にペースを落とすことが可能か、その方法があるかを考える。
大前提としてだが、壁や、先行車や対向車とぶつけないことが必須である。
状況を把握していて、現実的な打開策を出せそうな人たち幾人かに相談した。
任意にペースを落とすいくつかの方法と、(やらないという選択肢ではなく)出来る限り失敗のない方法がありそう。だから、踏み切るという選択をすることにした。
今回の出来事を振り返ってみて、思い返すのは、不安になるのは、見通しが立たないからであることがわかった。もう少し正確にかくと、今の自分の力量や持っている武器では、対応できないかもしれない見込みがあるため、踏みとどまっているのである。
逆説的に、不安になるということは、見通しが立たないことに挑戦しようとしている証拠でもあるのだと気付いた。