ボルナツと「もし高校野球のマネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」
今回の内容は、「もし高校野球のマネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」自体の内容には、ほぼ触れません。
これまでの経験と、この本を読む中で感じたことを書いたものです。
-------では以下から本文-------
兄の書庫の中にあるのをたまたまみつけた。
「もし高校野球のマネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」
手にとって読み進めた。
数年前からマネジメントを学ぶ必要性に駆られていた。マネジメントが失敗に終わりそうだったからだ。大学時代に今まで率いてきたボルナツというボランティアサークルのマネジメントである。
まずは、そもそもマネジメントという言葉自体について、解説しておきます。
マネジメント(management):経営、管理。もしくは、経営者側という意味です。
簡単にいえば、やりくりすることでしょうか。今年度の始まりの数ヶ月までやりくりすることにずっと悩んでいた。大学時代の思い出といえば、いつ体調を崩すか精神を病むか、そんな心境で過ごしていたというのが一番大きい。最優秀部員として、先頭を走っているだけでいられればどんなに良かったことか。何度も思った。遠めで見ても先頭を走っているのがわかるようになると、ボルナツ自体のマネジメントの役を行っていく必要性が出てきた。
最優秀部員でありながら、マネジメントを行う。プレイングマネージャーとならざるを得なかった。プレイングマネージャーとは、管理する側の人間でありながらも一労働者として活動する人のことである。プレイングマネージャーとなることは、苦肉の策だった。マネジメント側ではなく、最優秀部員であり続けたいと望む自分の本心と、それだけではいられない現実。したがって、仕方なくプレイングマネージャーとなることとした。
そもそもマネジメントの役割:経営、管理する仕事というのは、管理する母体にもよるがそれだけを行うだけでも一人分の仕事、もしくは、一人分以上の仕事である。したがって、プレイングマネージャーというものは、一労働者として一人分の仕事をこなしながらマネジメントの仕事を行うため、マネジメントの仕事自体を満足にすることは難しい。
満足に出来ないマネジメントの仕事を補う為に、自分自身が良き見本となることで、擬似的にマネジメントの仕事を行うのである。ボルナツという一ボランティアサークル程度の規模しかないサークルでは、マネジメントだけに注力できる人間を確保することは、難しい。したがって、プレイングマネージャーとなって、強引にでも引っ張っていって管理もする必要があった。
プレイングマネージャーとして過ごす大学時代はもう終わる。これからの私の人生は、プレイングマネージャーとして多くの時間を過ごし、新しい何かを生み出していくことになると思う。次に担うプレイングマネージャーとしての役割は、より良いやり方で出来るようになるだろう。一回失敗した経験をしたのだから。