青春の話が、話の十八番
「常識とは、18歳までに身につけた偏見のコレクションのことを言う。」
アインシュタインの言葉
この言葉から、青春のころの思い出が、その後の人生の物事の基準となるといえるのではないか。と思っています。
私の今の生活は、未就学児から90過ぎる人まで、幅広い世代と関わっている。
80代以上の人は、戦争に関する話が多い。
70代の人は、食べ物に関する話が多い
50代、60代の人は、稼ぐことに関する話が多い。
40代は、色々と悩んでるという印象かな
20代、30代の人は、自分らしい生き方に関する話が多い。
10代は、学校のあり方の話が多い
ただ単に、歳相応の話題なのかもしれないし、それぞれが直面してきた時代背景による話題であるような気がする。そもそも、私が会うことが出来た人から感じたという偏見でもある。
時代は変わった。私の口から戦争や、食料難の話はあまり出ないのでしょう。私にとっての青春時代は、地震や原発事故から、立ち上がる過程に関わったことだと思う。10年後や、20年後も、この話を軸として、いろんな話をしていくことになるのかもしれない。
私は、10年後、20年後、そのもっと先には、どんな話をしているのだろう。
結局今の似たような話をするのかもしれないし、全然違うことを話しているのかもしれない。
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・12月31日
年越しソバ打ち
年越しソバは自分の手打ちソバで。
一鉢(4~5人前)1500円
+500円で、私たち代行で打ち、そのソバを持ち帰ることも可能です。
だぁ~すけでは、調理に関することや、ソバ打ちに主体的に関わってくれる人を大歓迎
facebookでだぁ~すけページも更新中。
https://www.facebook.com/dalasuke/
その鵜川での地域づくりの様子を更新しています。
私に出来る営業方法
私に出来る営業方法
しゃべらなくてよい営業
それが私でも出来る営業の方向性だと思っていた。
去年の時点でも記事にしており、感じていたこと。
でも、具体的な方法はまだ見つけられていなかった。
今日は、「しらさん家」という、柏崎の運動あそび塾をしているところで、子供と遊んでいると、鵜川の「田んぼの学校」の人だと、私のことを覚えてくれている子供に出会った。
ここで、今までやってきたことのつながりが生きるのだなと思った。
田んぼの学校の記事一覧↓
元来、子供と遊ぶのは好きな性質らしい。
話すことが得意でない以上、体を動かすことでコミュニケーションを取り易い子供は、相性がよかったのかもしれない。小学生のころに器械体操をやっていたこともあり、体の身軽さには自信もある。体力も農家やってれば、そこそこつく。
私が子供と遊んでいる姿をみて、その親御さんから、私が米を作っている農家だと知り、この人が作っている米を食べてみたい。
そう思ってもらえれば、営業成功となるわけである。
がっちりとした体で、(洗濯しても落ちない)薄汚れた作業着を着てて、髪の毛ボサボサ。そんな姿で、子供と遊んでいれば、見るだけでも農家とわかるかもしれない。
私が、好んで出来る営業方法が見つかった。
そんな気がしてる。
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直近のイベント
・12月18日
味噌仕込み
鵜川で育てた大豆で、来年度食べる分のミソを仕込みます。
この日にどぶろくも仕込むかも!
・12月31日
年越しソバ打ち
年越しソバは自分の手打ちソバで。
一鉢(4~5人前)1500円
+500円で、私たち代行で打ち、そのソバを持ち帰ることも可能です。
だぁ~すけでは、調理に関することや、ソバ打ちに主体的に関わってくれる人を大歓迎
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その鵜川での地域づくりの様子を更新しています。
田んぼの学校 4時間目
今回は、1対10ぐらいだったかな
余裕余裕(超息切れ)
澁江を見たら、倒してみたくなっちゃうだろう?
仕方ないね。
男の子集団に囲まれて、遊んでました。
ということで、11月26日の田んぼの学校4時間目 ~交流会辺~ の様子を報告
4時間目の交流会辺は、みんなでソバ打ちです。
過去の田んぼの学校は、こちらから
田んぼの学校 1時間目 - 鵜川の山花日記 ~開会式、田植え、芋植え辺~
田んぼの学校 2時間目 - 鵜川の山花日記 ~田んぼの草取り、生き物観察辺~
田んぼの学校 3時間目 - 鵜川の山花日記 ~稲刈り、芋ほり辺~
田んぼの学校 ハサ掛から、白米になるまで - 鵜川の山花日記 ~閑話休題~
前日の25日のうちに、ソバ打ち道具の用意
そして、会場の鵜川コミュセンに運搬
そして、朝一に材料の仕分けです。
前日の内に、一回溶かしたはずなのに、また凍ってしまったフノリ
スタッフ達で、そのフノリを溶かし中。
最近寒くなってきたからね、仕方ないね。
鵜川の母ちゃん方も集まってもらって、コミュセンの調理場で、お昼のおにぎりと豚汁を用意してくれてます。
この写真は、もう大分後半の時のですけどね!
準備も完了したところで、9時半に。
ということで、始まりの挨拶と、今日の予定の説明
写真は、貼らない!
ってことで、早速ソバ打ち!
水回し&練り
といって、もうソバが一つのかたまりになって練りに入ったところ。
7組を3人(小野さん、真さん、澁江)で指導してるので、水回しの段階に、カメラなんて撮ってる時間なんてないっす。
必死で、あちこち回ってます。
ちなみに水回しとは、ソバ粉と水分を、均等に混ぜ合わせる工程です。
後々の、練りの工程や、伸しの工程での早さや安定度に繋がります。
伸し
練りの工程も飛んじゃって、伸しの工程
子供に任せてみたり、親御さんも一緒にやったり。
仕上げは、親御さんや、私達にお任せ
伸しの工程は、一番力のいる工程になりますから。
正確には、体重の適切な乗せ方が大事なので、体重次第でしょうか。
切り
普段ならば、全部包丁で切っていくところですが!
子供(未就学児~小学低学年)中心ということで、包丁で太刀切りだけして
麺切り機の登場ですよ。
大人だとしても、慣れない人が包丁で切るより楽で、きれいに麺の太さが揃います。
こんな風にね!
切る工程では、麺の太さが揃うことが、一番大事な点になるのですよ。
太さが、バラバラだと麺の茹で加減がまばらになりますから。
切りながら、手にとって、
容器に戻す
の繰り返し
茹でる
ここまで来たら、茹でますよ
沸騰してるお湯に、ソバを入れると、一旦温度が下がり、沸騰しなくなります。
そのお湯が沸騰してから、茹で時間の計測開始。
湯で時間は、麺の太さによりますが、麺切り機で切ったソバなら、1分半~2分でしょう。最後は、食べてみて硬さの確認。
茹で上がったら、水でさらしぬめりをとって完成!!!
ということで、みんなで食べましょう!
みんなで打ったソバに、鵜川さんの米のおにぎりに、豚汁
美味しかった!
お昼を食べ終えてからが、私的には、山場がくる。
1対10
未就学児や、小学生低学年ねんてね、10人いても余裕ですよ(超息切れ)
私と一緒に子供と遊んでくれる人、募集中ですよ(コソッ)
終わったら、最後に片付け
農林水産課の皆様、北陸農政局の皆様ありがとうございました。
子供成分を存分に吸収した気がする。
次回、田んぼの学校5時間目は、3月5日(日)の雪上運動会です!
また会えるの待ってるよ!
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直近のイベント
・12月18日
味噌仕込み
鵜川で育てた大豆で、来年度食べる分のミソを仕込みます。
この日にどぶろくも仕込むかも!
・12月31日
年越しソバ打ち
年越しソバは自分の手打ちソバで。
一鉢(4~5人前)1500円
+500円で、私たち代行で打ち、そのソバを持ち帰ることも可能です。
だぁ~すけでは、調理に関することや、ソバ打ちに主体的に関わってくれる人を大歓迎
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その鵜川での地域づくりの様子を更新しています。
ソバ祭り
ソバ祭り、それは、だぁ~すけの1年の活動の集大成ともいえるイベント
鵜川の人、鵜川を離れた人、鵜川に関わってる人を招待して、ソバを食べてもらう。
耕作放棄地を有効活用するために、ソバを育て、自分たちで製粉し、自分たちで打って、提供する。
その過程で、たくさんの人に関わってもらった。
鵜川を離れた人同士や、子供や孫を連れてくる一つのきっかけにもなった。
だぁ~すけの活動に関わってて良かったなって思ってます。
というわけで、今日は、11月23日に行ったソバ祭りの様子を報告。
100名の来場で、ソバは全部で142杯に提供となりました。
前準備@21日
1、つゆを作る
明人さん
辛味大根も袋つめ
2、あぶを作っておく
フミエさん
去年の12月仕込んで、やっと熟成したミソも袋つめ
3、机やイスの搬入
小野さんと私で
事前準備@22日
1、豆コロッケつくりと、小鉢料理の仕込み
かいじ と よそだい(両方とも屋号)の母ちゃんと、フミエさん
2、会場設営
運び入れていた机とイスを実際に配置
小野さんと私で
写真はないよ!
当日の様子
23日には、たくさんの人に集まってもらいました。
・だぁ~すけ会員から、小野さん、フミエさん、真さん、和重さん、明人さん、菅野さん、坂本さん、山村さん、澁江の9名
・手伝いの母ちゃん方は、まえひがし、みやした、かいじ(全部屋号です)の3名
・特別出演で、澁江の両親、知り合いの中学生のみくに手伝ってもらいました。
総計15名でした。
8時半に、会場のほたるに集まりまして、準備開始!
調理場では、
かきあげ作る
かいじと、みやしたの母ちゃん
大根おろし作る
まえひがしの母ちゃんと、みく
豆腐も作る
フミエさんと、みく
豆腐作りには、毎回新しい人に体験してもらいながら一緒にやるのが恒例になりました。
ソバ打ちチームは、総勢でソバ打ち
真さん、菅野さん、村山さん、時々、澁江
ソバつゆの最終調整と、ソバ茹でるための準備
小野さんと、明人さんと、坂本さん
受付は、和重さんにお願い
その横には、お土産として買っていけるものを置いてあります。
メニューはこんな感じ。
実物の写真を撮っていないのですけどね。
ほたるをフル活用していますね。
鵜川に足を運んでくださった皆様
手伝ってくださった皆様
ありがとうございました。
少しづつ進歩していく「だぁ~すけ」の様子を今後も報告していきます。
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直近のイベント
・12月18日
味噌仕込み
鵜川で育てた大豆で、来年度食べる分のミソを仕込みます。
・12月31日
年越しソバ打ち
年越しソバは自分の手打ちソバで。
一鉢(4~5人前)1500円
+500円で、私たち代行で打ち、そのソバを持ち帰ることも可能です。
facebookでだぁ~すけページも更新中。
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その鵜川での地域づくりの様子を更新しています。
強みはなんだ
責任を取れないことはやりたくないから、何かやるには、失敗時に対応出来るか考えてから行動する。予想出来ることには、もちろん限界があるから、何で保険とするのかを考えておくのかも必要となる。いわゆるリスク管理である。
鵜川に生きるという前提を元に、とっかかりやすい(私の現状から)農業から始めることとしたが、農業だけで生きていくつもりもない。現代の農業の性質からしても「半農半X」(農業でも稼ぎ、他でも稼ぐというやり方)として生きるほうが、安定性もある。
一経営者になる身として、マーケティングや経営論の勉強も進めていて、考えることは多い。まだ、実践できているという段階までは、いってはいないのだけど。
やることはあって、何すればよいのかもわかっているし、時間を作れそうなら、やることも貯まってる。とりあえず、次にする必要のあることが、正直怖すぎて前に進めないでいたから、とりあえず、なんでも良いから言葉にした。
田んぼの学校 ハサ掛から、白米になるまで
鵜川の田んぼの学校の報告も、澁江にお任せ
さて、田んぼの学校といえば、前回(3時間目)みんなで、稲刈りして、ハサかけしました。
しかし、実際に食べられるお米になるには、もう1仕事2仕事必要です。
そもそも刈った稲をハサにかける理由といえば、お米を乾燥させることです。しかし、ただ何も考えずに乾燥させればよいわけではありません。
乾燥しすぎれば、お米が割れてしまいますし、乾燥が足りないと、カビが生えやすくなります。
適度な水分量は、14.5%~15%といわれています。
では、水分量をどうやって測るの?ということになりますが、水分計使います。
こんなやつ
晴れの日には、毎日お米の水分量を計って、乾燥具合を見てました。
ハサかけ米の場合、場所によって乾燥具合が変わりますから、2,3箇所とって、その平均でみてます。
この写真では、14.9%ということで丁度よい水分量になったようです!
◎脱穀
程よい水分量になったら、脱穀します。
もう終わった写真ですけどね。モミ付の米だけを採る作業です。
10月16日(日)に行いました。
モミをはずされた、稲藁はまとめて、体育館へ保管
この稲藁は、田んぼの学校5時間の雪上運動会(3月5日(日))の才の神で使います!
◎もみすり
もみすりは、モミ付の米のモミを取る工程です。
もみすり機にかけて、石抜き機、グレーダー(選別機)と連結させた機械を通って、玄米になります。
もみすりは、10月24日(月)に行いました。
◎精米、袋詰め
やっと精米 白いお米になります!
玄米を精米機にかけて、白米に
2キロづつ計って、袋に入れる。
そして、封を閉じる。
完成しました!
精米と袋詰めは、11月8日(火)に行いました。
ということで、次回の田んぼの学校の4時間目(11月26日)には、このお米のおにぎりをお昼に食べるのはもちろん、2キロづつのお米のプレゼント!
鵜川の米は、農協にもほぼ出荷されず、鵜川の人と知り合いでないと入手出来ないお米ですから、お楽しみに!
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だぁ~すけでは、調理に関することや、ソバ打ちに主体的に関わってくれる人を大歓迎
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その鵜川での地域づくりの様子を更新しています。
澁江が鵜川に移住した経緯
私が、鵜川に移住するに至った経緯をまとめました。
経緯に入るまでに、まずは、鵜川とは、どこにあって、どんなところなのかの説明から行います。
◎鵜川とは、どんなところ
・鵜川の位置
鵜川という名前の通り、「鵜川」という川の上流の地域です。
住所の上では、鵜川という地名は、存在しません。現在は、柏崎市の大字女谷、大字市野新田、大字折居の三つを合わせた地域を鵜川と呼んでいます。
この中で、私は、柏崎市の大字女谷に住んでいます。
集落まで分解すると、11の集落(清水谷は含めず)に分かれるのですが、ここでは割愛
「綾子舞のところ」というのが一番伝わりやすいと思っています。
農業者の中では、ブトが超すごいところとして、有名だったりします。
・鵜川の超略歴
1901年:女谷村、折居村が合併し、鵜川村に
1956年:鵜川村、野田村、上条村が合併し、黒姫村に
1968年:黒姫村は、柏崎市に合併。現在に至る。
遡れば、鵜川村という名称があり、それが鵜川と呼ばれる経緯だと思っています。
・鵜川の現状
現在高齢化率約82%、(※高齢化率とは、65歳以上の方の割合です。)
50軒で、77人の方が住んでいるそうです。
H27年3月時点の柏崎市の住民台帳を参考に計算しました。
高齢化率82%と77人という人口から、64歳以下が、13人いる計算となりますが、20代は、もちろん私一人です。
◎澁江が鵜川にきた経緯
では、ここから本題、私が、鵜川に移住した経緯です。
私は、長岡技術科学大学に通っていましたが、大学を卒業する前(H27年4月)から、鵜川で暮らし始めました。
大学時代は、「ボルナツ(正式名称VOLT of NUTS)」というボランティアサークルに所属していました。ボルナツでは、新潟県中越地域の中山間地の活動を中心としており、その活動先の一つに、鵜川での活動がありました。
ボルナツでの活動を通して、中山間地で生きるという道も一つの選択肢としてありだなと考えるようになります。
そして、私が大学4年になり、大学院に進学するのか、就職するか決める必要性がある時期(H26年6月頃)にfacebookである投稿をしたのです。
「私を欲しいところありますか」と、一種の就職活動といえるでしょう。
その投稿に、ボルナツの鵜川での活動の受入れを行っていた「だぁ~すけ」の会長の小野さんから、「鵜川でコメ作りをしないか」というコメントをもらいました。
その言葉にかけることを選びました。それから、具体的な移住する方法の模索に移り、(H27年4月)実際に移住することになりました。
◎まとめ
本題なのに短いわけですが、おいおいもっと詳細に書くかもしれません。
さて、実際に移住に至るまでには、いくつかのポイントがありました。
- 「だぁ~すけ」という、町内会のような組織とは別に、地域活性化団体が、活動していたこと。
- 「だぁ~すけ」での活動が、外部の人も巻き込んでいたこと。
- 外部の人を巻き込む中で、澁江が、真面目にその活動に巻き込まれていったこと。
- 地域側(地域の人)からの最後の後押しと、移住に至るまでの道の模索を一緒に模索してくれたこと。
これらを通して、私は、鵜川に移住することになりました。
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だぁ~すけでは、調理に関することや、ソバ打ちに主体的に関わってくれる人を大歓迎
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その鵜川での地域づくりの様子を更新しています。